当たり前の人間。
心を痛める出来事があった。
ある大好きな人が、法に反する罪を犯し、捕まった。
別に罪の程度だとか、好きだから庇うとか、
そういう事を言う気は無い。
いつからだろう。
1度や2度の失敗を、徹底的に批判し、人格を全否定し、
その人の再起を完全に絶つような、面白おかしく騒ぎたてるような、
品格の無い くだらない国になってしまったのは。
「貧すれば鈍する」。
本当の貧しさは心まで貧しくする。
経済的に豊かになったニッポンという島国は、
あの頃よりも、もっともっと貧しくなったみたいだ。
そして強いられるものは、
表面上だけの「聖人君子」と、
当たり障り無き意味の無い「自由」というもの。
今の時代、白が流行るという。
人は無いものを追いかける。
白=純粋と、僕は理解する。
今の時代、純粋に生き辛いということの現れだ。
人の痛みがわかる人間でありたいと思う。
優しさ とは、人偏に憂いと書く。
憂いとは悲しみ。
悲しみの裏には大きな悲劇がある。
だから、優しさはとても厳しいものだ。
そして、とても悲しいものだ。
当事者を責めるのは容易い。
しかしそれが正解だろうか。
批判・批評も時には必要。
共に拳を上げようと肩を抱くのも必要。
でもまずは「癒し」じゃないか。
同じ目線に立って、大丈夫だよと肩を抱き、
同じように涙を流す共同体としての癒しが必要じゃないのか。
彼が犯した罪による被害者は誰か。
僕は、一番の被害者は 彼自身 だと思う。
まずはとことんまで落ちればいい。
泣いて泣いて泣き喚けばいい。
それから「自尊」と向き合い、
「自尊」を取り戻す。
そんな「当たり前の人間」であるはずの
彼をずーっとずーっと見守りたい。
誰一人、神様では無い。
当たり前の人間だ。
□□□ 住宅・店舗・設計・企画・新築・リフォーム・リノベーション
■■■ Architect Design Office YAMATO 代表・野田 敏男