不良と優しさ。
「不良とは優しさのことではないかしら」
太宰治は『斜陽』の女主人公に
そう言わせている。
その一節前には
「不良でない人間があるだろうか」
と、ある。
不良とは何か。
優しさとは何か。
人は誰しも
「悪」の要素を持つ。
だが世の中の大半の人は
あえてソレに目を向けず
社会的規範=モラルの中に生きる。
それが世間では正解とされている。
ソレがまるで無いかのように。
それが出来ない人間は
「弱い人間だ」と世間では扱われる。
だけども。
そのような考え方で
人の弱さや醜さを理解出来るとは
僕は到底思えない。
ソレを受け止めるには
「優しさ」が要る。
誰よりも敏感で繊細な
優しい感受性が要る。
優しさ故に。
優し過ぎるが故に
他の誰よりも世間に対する不安や恐怖に包まれ
ソコに立ち向かうため、
はたまたソコを紛らわせるために
常套では無い生き方=不良となるように
僕は思う。
不良であることを
正当化するつもりは無いけれど
時に人を蹴落としてまで
時に人を傷つけてまで
モラルを・自分の我を、通す必然性が
果たして本当にあるのだろうか。
僕はそうは思わない。
多かれ少なかれ
「不良でない人間があるだろうか」
僕は願わくばそういう人間でありたい。
人を容易く傷つける人間が存在する一方、
今日も柔らかく繊細で温かい
「人間臭い人間」に会えた。
どんなどん底に陥ろうとも
そこから拾えるモノがある。
そこに光るモノがある。
「よし。
今日もまた
ここから頑張ろう」
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