建築と茶道とデザイン。そして大和魂’s blog

愛知県西三河・安城市在住の建築家であり茶人・野田敏男の日記。

父と俺。

父の具合があまり良くない。

 

今年で75歳。
長いこと癌と闘って来ている。

 

食欲が無い。
体力が落ちる。
歩くことは出来るが
車の運転は、もう出来なくなった。

 


多くを語らぬ父だった。
昭和気質と一言で片付ける気は無いが
基本的に我慢を通す人だった。

 


良い意味で
子どもに期待をしない親だった。
何でも自由にやらせてくれる父だった。

 

 


父と子の間に
「理想の形」というものは存在するのか。

 

日本の人口は1億3千万人。
1億3千万の人には1億3千万の父が居る。
その父と子の有り様は千差万別だ。


古の中華の思想家・孟子は、こう言った。


 「父子の間は善を責めず」
 「父子、親あり」

 父と子の間は、ああしろこうしろとあまり言わない方が良い。
 父と子の間は、親しみこそが大事だ。

 

ということだ。

 

そういう意味では父と俺との間は
理想的な関係だったかもしれない。

 


愛だけでは、人は育たない。
そこに「敬するもの」を持って
初めて、人は人となり、成長する。

 


先日、あまりにも食が細くなったので
入院することになった。

父の主治医に
「万一の場合、延命治療をするかどうか
 考えておいてください」
と言われた。


不思議と慌てはしなかった。

「あぁ、ついに来たか」
と変に冷静であった。

 


最終的に土壇場になったら
どうなるかわからないけれど
俺は父の意思を尊重したい。

 

俺だけの想い、ということの返事なら
「精神が絶え、医学的見地だけ」の延命治療なら
俺は望まない。

 


諦め、とは違う。

 


人はいつかは死ぬ。
いつかは終わりがくる。

 

周囲の自己満足だけで終末をドタバタするような
みっともない真似はしたくない。

 

何よりもそれで一番苦しむのは父だ。

 


僕の同級生でも
父なり母なり、親を亡くした方は
少なからず居る。

 

みんな、それを乗り越えてきている。

 

乗り越えられては、いないのかもしれない。
未だに引きずっているのかもしれない。

 

それでも今を懸命に生きている。

 

素直に
「あぁ、すごいな」
と敬服する。

 


右を見れば
父が少しずつ「死」を迎えようとしている。

左を見れば
まもなく4歳になろうとする息子が
これでもか!と「生」を謳歌している。

 


自らの内にある「哀しみ」と向き合うのは
正直、とても辛い。
出来れば逃げ出してしまいたい。

 

だけども逃げ切ることは出来ないし
悲しみの色は塗り返せない、と理解したとき
その反対側にある「希望」に光を当てる。

 

その希望は、やはり「人」だ。
人から元気や勇気をもらうし、
人との繋がりから希望を見い出す。

 

そうやって人と繋がることによって
勇気や希望を見い出すのは
誰もがやっている最も身近な
クリエイティブな作業なんだと思う。

 

そんなところまで
やっぱり俺はデザイナーなんだなと思う。

 


そんな御託を垂れておきながら
父の死の間際、父が死んだら
俺はやっぱり
泣き散らし、喚き散らすんだろうなぁ。

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