建築と茶道とデザイン。そして大和魂’s blog

愛知県西三河・安城市在住の建築家であり茶人・野田敏男の日記。

俺の父と俺の息子。

息子・一茶が
保育園で初の七夕を迎える。

 

そのための宿題が短冊。
明日(月)までに3つのお願いを書いて持っていくそうだ。

 

妻・祐子がたずねる。
「一茶は何をお願いしたい?」


一茶が言う。

 「おじいちゃんが、元気になりますように」
 「おじいちゃんが、お散歩が出来ますように」
 「おしいちゃんが、御飯や御茶を食べれますように」

 

 

 

父は今74歳。
10余年越しの癌と闘病し、今は末期の状態だ。


先々週頭に医師から
「今週いっぱい恐らく持たない」
と宣告された。

 

それ相応の覚悟をした。
覚悟をしていたつもりだった。

 

幸いにも父はその危機をを乗り越えてくれた。
宣告を受けてから2週が過ぎようとしている。


傍から見れば回復しているかのように見える。

しかしだ。
癌の転移はもう全身に及ぶ。
出来る治療は既に無い。
モルヒネと酸素吸入が無ければ
即日に危険な状況だ。

 

今は緩和病棟と呼ばれる場所で
本人の苦しみが少しでも無い様に
静かに少しずつ終わりへ歩んでいる。


俺は
できれば、泣きたくは無い。
辛いという想いも外には出したくは無い。

 

それを見た父や家族や仲間が
きっと同じように哀しい想いをしてくれるから。
幸いなことに僕の周りは誰も優しい。

 

だからこそ
そんな想いは誰にもさせたくは無い。

 


だけども。
この一茶の言葉には駄目だった。
父の終の宣告を受けてから
初めて涙をこぼしてしまった。

 


毎日のように一茶を連れて
父の病室へ足を運ぶ。

 

父が孫達の顔を見ると
何よりも一番喜ぶからだ。

 

もう父は流暢に喋れない。
たどたどしい仕草とゆっくりとした表情で
やわらかく喜びを表に出す。

 

一茶は
「おじーちゃん!」
と幼子なりのちょっと下手くそな喋り方で
精一杯の自分の気持ちを伝える。

 

甘える、笑う、じゃれる。
おじいちゃんを好きなのがわかる。

 

もう全てを抱きしめてやりたくなる。
俺は笑ったまま悲しくて涙が出そうになる。

 

 


このタイミングで
俺の息子と俺の父が別れを迎えるのか。

 

人生には順番がある。
仕方の無いことだけど、
もう少しタイミングというものが
何とかできなかったか。

 

 

 

 

僕は一茶にたずねる。
「一茶のお願い事は無いの?」

 

一茶は言う。
「うーん、無い。それでいい。」

 

妻・祐子と顔を見合わせる。
祐子も瞳に涙を溜める。

 


僕の宝は間違いなく
この息子・一茶だ。

 


人生には順番がある。
哀しみがある。苦しみがある。
それは仕方の無いことだけど。
少しでもそういう想いを
我が子に味あわせたくは無いな。

 


無垢な心、無垢な瞳、無垢な心。
真っ直ぐに愛する人を思いやる心。
それを全て持つ息子・一茶。
たくさんの事を教えてくれる一茶。

 

 


俺はずーっとずーっと
たとえ死んでも
すーっとずーっとお前を愛しているよ。

 

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いつかどこかで誰かのために

悲しい時は空を見て
誰も悪くないと言おう

 

寂しい時は海に来て
もう自分を責めなくていいと言おう

 

嬉しい時は風になり
緑の葉を鳴らして称えよう

 

優しい時は「あの人」に
「ごめんね」「ありがとう」と言おう

 


苦しい時は山を見て
もう逃げないぞと言おう

 

虚しい時は
故郷の大切な人を想い、泣けばいい

 

何も出来なくなってしまった時は
ただ己で自分自身の手を握り締めていよう

 

 

悪いモノなんてない
悪いモノなんてない

 

この世にあるモノは
良いモノばかりに決まっている

 

胸を張れ、高らかに。
希望の光を見たはずだ。

 

あの日の自分を思い出せ。
心の闇に立ち向かおう。

 

 


誰も助けてはくれない。
誰もわかってはくれない。
自分は、自分でしかない。

 


もっともっと笑おう。
自分が正しい所に向かえるように。

 

もっともっと涙を流そう。
まだ見ぬ母の温もりを頼りに
泣きじゃくる赤子のように。

 

いつかまだ見ぬ何処かの誰かが
きっと涙をぬぐってくれると。
そう希望が持てるように。

 

 

 


いつかどこかで自分のために。
いつかどこかで誰かのために。

 

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優しさ。

人間の優しさとは

生活が強いる鬱屈や被害者意識にまみれ
自分の弱さに直面したときに

それでもなお
他人に優しくあろうとすること。


人は日常のあくせくする中で
己の中の純粋な想いすらも
見失っていくのかもしれない。


人は
それだけは失いたくないものをこそ
失っていくのかもしれない。


自分が幸せの渦中にいさせてもらえる。
という想いを抱くと同時に、
自分の内にある黒い感情に
ふと向き合ってしまうのはなぜだろう。


羨むほどの「男」に俺、なりたかった。
みっともない真似も随分してきた。
だけど良いも悪いも全部、
「自分」だから。
せめて人の心を決して
裏切らぬようにと。


その真逆ばかりをしている様に
思えるのは何故か。


筋の通らぬ世知辛いこの世の中で
アイツとうまくやっていきたい。
それだけだった。

自分の姿は世の中から見れば
どんなに滑稽で無様に見えるだろうか。


愚直な情念の人。


自分の中の弱さや憎しみ・鬱屈を
無理矢理ねじ伏せられたらと思う。


どうしても見たくない
自分の内なる弱さ。
それに向き合えるだろうか。


弱くても構わない、とか。
弱い自分を許してほしい、とか。

そういう意味では無く
どうもがこうが打ち消そうが
どうにもならない弱さに
永遠に寄り添っていくほかない

というぎりぎりの勇気の形を
持てるかどうか。


自分の中の弱さに向き合えない人間は
目の前の卑近な他者を苦しめる。

ならば。

自分の中の弱さという息吹を消さず
それにどこまでも寄り添おうとし
だからこそ他人に対して
ほんとうに優しく強くなれる。


何度でも
挫折から再び立ち上がっていく強さを。
そんな「男」に私はなりたい。
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あの頃へ。

大人になってから知りあった人とか
昔からの友達とか。

 

その中でさよならもたくさんあって。
出会いの数より、別れの数の方が
実は多かったりしてさ。

 

なにか自分の足りないものが
もうちょっと自分の欲とか望みとが
少なくなって。

 

もうちょっと自分が美しくて。
もうちょっと自分が奇麗でいられたなら。

 

 

そういられたなら
きっと仲良しでいられたハズなのに。

 

ずーっと一緒でいられたハズなのにね。

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あつらえる。

「『あつらえる』ってどういう意味合いなんだろう」


友人から問われた言葉。

 

言葉って知ってるようで知らない。
漠然としたニュアンスでは感じても
ちょっと奥入った意味は知らなかったりする。


単に辞書で調べるなら

  自分の思いどおりに作らせる。
  注文して作らせる。
  人に頼んでさせる。

ってこと。

 

しかし言葉はそう単純じゃない。
歴史的背景もあるし精神論もある。

 

 

また、似たような言葉であるのが
「しつらえる」。

 

これは「整える。用意がある」ということ。
飾り付け、という意味もある。

 

「室礼 shitsurai」という言葉とも
深く関係があると予想するのは容易い。

 


「おあつらえむき」
なんて言葉もある。


これは「希望どおり」という意味。
あつらえた通り、という意味だろう。

 


あつらえる、を漢字で書くと「誂える」。

誂を分解してみると「言」「兆」。

「兆」は
  きざし
  前触れ
  予感
  予想
  希望
という意味。

 

これに「言」をつけるとどうなるか。

 

つまり、自分の好みを言葉で説明したうえで
作ってもらった希望通りのもの、ということ。

 

「誂」という言葉を紐解くなら
概ねそんな感じだろう。

 


尋ねてきた友人は、料理や菓子を作る人。
それを生業nariwaiとする人。

 

 

たとえば誕生日ケーキ。
そういうオーダーが来たとする。

 

作る側としては
できれば喜んでもらえるように作りたい。
オーダーする側の立場から言うなら
誂っていただきたい。

 

客からオーダー内容を自発的に言って頂ければ
こんな有り難い事は無い。
創る側から伺うのも勿論アリだろう。


ただ僕の持論としては
オーダー側からの希望「のみ」で済ませるのは
いささか頂けない。

 

人というのは
気持ちと言葉が一致しないことが多々ある。
意識的にしろ無意識的にしろ。
いや、無意識的な事が殆どか。

 

相手が言う事の「もう一歩先」を
読めるプロでありたい。

 

それは建物を建てる事を生業とする自分にも
大いに言えることだ。

 

客からの要望に対して「100点」ではダメだ。
最低でも「101点」を取らないと。

 

プロってそういう事だと思う。
それを成すからこそ、次へ繋がる。

 

「誂える」という希望を
次の希望へ繋げたい。

 


茶道も、そうかも知れない。

 

これはもっとムツカシイ。
事前に客側からの要望を聞くなんてことは、しない。

 

天気や季節を読み取る。
知人であれば相手の人となりを読み取る。
初見の方であれば、基本的な人物行動の基本を読み解く。
今、この瞬間の「間」を読み取る。
空気感を読み取る。

 

 

おもてなし。


モノを持って成し遂げる、という意味。
それに丁寧語の「お」をつけて
『おもてなし』。

 


「希望」というモノを持って成し遂げる。

 

そんな『おもてなし』も楽しいかもね。

 

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気付く。気付かされる。

久々の石川県出張。

金沢と輪島を廻る。
愛知から車で向かう。
妻と息子と、妻の親友を乗せて。


空いた時間に茶屋街を廻る。

工芸、雑貨、飲食。
こんな風にちゃんと金沢を歩いたのは初めてだ。

僕の好みの店もあれば
そうでない店もある。

気が付けば
陳列された商品よりも
什器の仕組み・建具の納まり
看板の素材が気になる自分が居る。



今、地元で大きな老舗店の
リノベーションデザインを受けている。

当初予算よりもグッと下がった金額。
そんな事は良くあることで。
そこで、どうまとめようかと
長いこと漠然と煮詰まった状態。


和カフェでお抹茶を頂きながら
皆と会話をしながらも
心はここにあらずで
そこに想いは飛んでいく。


ハッと気が付く。

僕が惹かれるディテールの店は
殆どがオリジナルで創り上げられた店だ。
言い換えれば
ポイントになる箇所には既製品を使って無い。

間違えちゃいけないのは
既製品を使わないことが良いんじゃない。

そこに納まるのに相応しい形を求めたら
たまたまオリジナルになったというコト。


予算の問題は当然付いて廻る。
既製品ではコストがかかり過ぎることもある。

そもそも目的の品が存在しないこともある。

それでも何か目的を果たしたいとき
「だったら自分達で創ればいいじゃないか」
という至極まっとうな発想論理。


ところが歳を経て経験を経てくると
それを選択しない自分が居る。

大抵は慣れで無意識な自分だ。

デザイナーなどと偉そうな事を言いながら
知らず知らずのうちに
各種のカタログから品をチョイスする
単なる「セレクト屋」になっている自分。

何か困難にぶつかれば
容易く「仕方無いよね」と
折り合いをつける自分。

一番なりたくないと思っていた自分だ。



デザインとは何か。

ここでも間違えちゃいけないのは
デザインって「奇をてらう」ことじゃない。

デザインの語源は数あれど
僕が推すのは「De・Sign」

DeはDeleteで消すの意。
Signは署名。

署名を消す。
つまり
「誰が創ったかわからない」
「それくらい当たり前の形」
を目指すのが
「Design デザイン」
だと僕は考える。


ここに什器を置くなら当然こうなる。
ここに建具を納めるなら当然こうなる。

使い勝手のために。
主たる客のために。


そういうプロセスを誰よりも大切に動くのが
デザイナーの主務だったはずじゃないか。


そこに気づけた自分が嬉しい。
気付けた事による勢いのあるモチベーション。

そういう思考論理になってくると
見る目も変わってくる。
着眼点が変わってくる。


覚悟も変わってくる。
「この物件を120%で成功させないと
 デザイナーとしての僕の次は無い」
希望が宿ったからこその覚悟。


だから全然負ける気がしない。
『見てろよ、てめえら』
って感じだな。


長いこと感じてたグレーの闇から
ひとつ頭を抜け出した感じ。


金沢、最高。
時には旅って必要なのかも知れないね。

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父と俺。

父の具合があまり良くない。

 

今年で75歳。
長いこと癌と闘って来ている。

 

食欲が無い。
体力が落ちる。
歩くことは出来るが
車の運転は、もう出来なくなった。

 


多くを語らぬ父だった。
昭和気質と一言で片付ける気は無いが
基本的に我慢を通す人だった。

 


良い意味で
子どもに期待をしない親だった。
何でも自由にやらせてくれる父だった。

 

 


父と子の間に
「理想の形」というものは存在するのか。

 

日本の人口は1億3千万人。
1億3千万の人には1億3千万の父が居る。
その父と子の有り様は千差万別だ。


古の中華の思想家・孟子は、こう言った。


 「父子の間は善を責めず」
 「父子、親あり」

 父と子の間は、ああしろこうしろとあまり言わない方が良い。
 父と子の間は、親しみこそが大事だ。

 

ということだ。

 

そういう意味では父と俺との間は
理想的な関係だったかもしれない。

 


愛だけでは、人は育たない。
そこに「敬するもの」を持って
初めて、人は人となり、成長する。

 


先日、あまりにも食が細くなったので
入院することになった。

父の主治医に
「万一の場合、延命治療をするかどうか
 考えておいてください」
と言われた。


不思議と慌てはしなかった。

「あぁ、ついに来たか」
と変に冷静であった。

 


最終的に土壇場になったら
どうなるかわからないけれど
俺は父の意思を尊重したい。

 

俺だけの想い、ということの返事なら
「精神が絶え、医学的見地だけ」の延命治療なら
俺は望まない。

 


諦め、とは違う。

 


人はいつかは死ぬ。
いつかは終わりがくる。

 

周囲の自己満足だけで終末をドタバタするような
みっともない真似はしたくない。

 

何よりもそれで一番苦しむのは父だ。

 


僕の同級生でも
父なり母なり、親を亡くした方は
少なからず居る。

 

みんな、それを乗り越えてきている。

 

乗り越えられては、いないのかもしれない。
未だに引きずっているのかもしれない。

 

それでも今を懸命に生きている。

 

素直に
「あぁ、すごいな」
と敬服する。

 


右を見れば
父が少しずつ「死」を迎えようとしている。

左を見れば
まもなく4歳になろうとする息子が
これでもか!と「生」を謳歌している。

 


自らの内にある「哀しみ」と向き合うのは
正直、とても辛い。
出来れば逃げ出してしまいたい。

 

だけども逃げ切ることは出来ないし
悲しみの色は塗り返せない、と理解したとき
その反対側にある「希望」に光を当てる。

 

その希望は、やはり「人」だ。
人から元気や勇気をもらうし、
人との繋がりから希望を見い出す。

 

そうやって人と繋がることによって
勇気や希望を見い出すのは
誰もがやっている最も身近な
クリエイティブな作業なんだと思う。

 

そんなところまで
やっぱり俺はデザイナーなんだなと思う。

 


そんな御託を垂れておきながら
父の死の間際、父が死んだら
俺はやっぱり
泣き散らし、喚き散らすんだろうなぁ。

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